長万部 (函館本線) 2000

&  Ektachrome Years

2000

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長万部構内から直進した室蘭本線は、長万部川橋梁と新長万部川橋梁を経て起点2キロから3キロ付近のR800の右回りからR600の左回りの反向曲線にて海側に遷移する。長万部川放水路開削に関わるものかと思っていたら、1923年12月10日の開通以来の線形であった。

この先、静狩までの内陸側が広大な湿原であったことによる経路選定で、ここには静狩付近の湿地を水源とした細い水流が激しく蛇行しながら海側の砂丘を越えれずに長万部川本流まで約10キロ近くを横流し、周囲に湿原を形成していたのである。1960年代末でも静狩側の原野開墾が進んだのに対して、旭浜信号場付近以西には湿原の未だに続いていたのが、当時の空中写真に見て取れる。現在のその僅かな名残がこの反向曲線の海側、マリノス長万部前付近の原野である。そこには改修されていない水流が残る。


長輪線の最初の開通区間となった長万部-静狩間は、それは当時に静狩鉱山の山元街として長万部以上に繁栄したと云う静狩との連絡に資したであろうが、それの目的は人的移動に海上行路を要し、貨物輸送には苫小牧から岩見沢経由であった函館と室蘭間の鉄道距離を6分の1にまで短絡するものであり、意外なことに、それの建設運動を最も強く推進したのは函館市であった。

室蘭と、そして岩見沢と直結することにより道央から道北道東に至る地域が函館の広義の後背地となることを意識しての行動であり、事実函館市は名実共に人や物流における北海道の玄関に発展した。

鉄道省もそれを強く意識していたらしく、『長輪線建設概要』(鐵道省北海道建設事務所 1928)にて「本線は北海道に於ける所謂拓殖鉄道と其の趣を異にし都市より都市を結び港湾より都市を連絡する本道中最も優秀なるエコノミカルライン」と書いている。


ほとんどが直線の高速運転区間に在って、振り子式特急形気動車でも110km/hの制限を受ける反向曲線ではあるが、ここでの鉄道撮影では変化をもたらしてくれる存在でもある。将来には、その傍らを新幹線の高架が並走することになる。

列車は8002列車、<トワイライトエクスプレス>。

既出の画角だが、Ektachrome撮影をご容赦頂きたい。


[Data] NikonF4s+AiNikkorED180mm/F2.8S   1/500sec.@f4    Non filter     Ektachrome Professional E100SW [ISO160 / 0.5EV push]

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