それの醸された土地に想いを巡らすのも酒呑みの楽しみのひとつだ。

人の定住するところに酒蔵の在って、地産地消だった原初形態の時代であればなおさらだろうが、原料米の産地からの移出/移入が自在で、それの地産とは限らなくなっても、そこの水に気候に風土が酒を創って来た。

内陸の農村地帯と海沿い地域の酒質は明らかに異なるし、山間の酒には深山の趣がある。

同じ日本海岸を南下しても、青森西海岸の凛としたそれは由利地域から庄内で軽快感を増して下越地方に続き、中越で奇麗に澄み、上越から大地溝帯へ向けて鋭く立ち上がりながら富山平野を経て、能登半島で嶮先に至る。加賀ではたおやかな滑らかさに転じて、福井嶺北でふくらみを加え、若狭でキレを取り戻す。

水も勿論だけれど、そこに在る暮らしの様が人々への酒質を決めて来たのである。平たく云えば、肴が酒の味を規定するのだろう。


近年、酒蔵の淘汰されてしまった地域で地酒を復活する動きがある。休場/放置されていた蔵を再興する例も見られるが、多くは地産の米、場合によっては水も稼働中の酒造場に持ち込んで醸造を委託するものである。

北見地方では、北見市酒販協同組合による地元産の「はくちょうもち米」(*)と、水も摩周湖伏流水で仕込む「白杜の雫」の例が在る。醸造は札幌の大手、日本清酒である。2012年6月には、美幌町の町内酒販店有志(びほろ酒倶楽部)が地元産「ななつぼし」による仕込みを小樽の田中酒造に委託した「純米吟醸びほろ」が発売された。

状況は異なるのだが、休醸して久しい北見に現在に残る唯一の酒造免許場である山田酒造も、その「栄光摩周」「北見寒菊」は以降金滴酒造にて委託醸造されて来たのである。

(*) - 2012醸造年度より原料米は酒造好適米の「吟風」となった。これが北見産であるかは不明。


さて、酒呑みとしてはこれらを前には複雑な心境なのだ。これらを北見の風土の酒と見るべきか。

戦前に、この地で醸され道内各地にも出荷されたと云う、馬場酒造の「北乃天」を知ってもいれば判断もつきそうなものだけれど、それは叶わない。「栄光摩周」も金滴酒造醸造以降しか知らないのである。もっとも、北見駅で手に入れた「白杜の雫」は美味い酒ではあった。


この地方では、個人商店単独での動きも見られる。

端野駅前に古くから在る田嶋商店は、釧路の福司へ委託した「純米吟醸 福の蔵」と栗山小林酒造での「大吟醸常呂川」を発売している。これらは、プライヴェイトブランドとして扱いだから実にすっきりしている。「福司」に「北の錦」として呑めば良い。

対して、留辺蘂駅前の酒販店高野商店(留辺蘂地酒倶楽部)が、1998年から新十津川の金滴酒造へ委託醸造にて発売し、近年には小樽の北の誉酒造へと委託先の変わった「馬喰一代」は、留辺蘂の地酒を標榜しているのである。それはきっと美味い酒だろう。酒呑みとすれば、ほんとうに困ってしまう。


写真は、留辺蘂に進入する8557列車。この重連運転の頃、落葉松の季節には常紋に誘われた。


[Data] NikonF5+AT-X300AF Ⅱ 300mm/F2.8S   1/250sec-f6.3   C-Polarizing filter   Ektachrome Professional E100SW [ISO160 / 0.5EV push]

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音別 (根室本線) 2001

&  Ektachrome Years

2001

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80年代の末から90年代には道北道東線区での機関車運用の廃止が続き、細々と残った貨物列車も96年8月一杯で名寄発着が、その半年後の97年3月22日改正にて中斜里発着が運行を停止すれば、機関車屋としてはこの方面には足が向かなくなっていた。その中での例外は根室本線で、ここ音別へはそれ以降にも幾度か通った。決して時間帯は良く無いのだが機関車牽引列車が残存しているからである。


77年に初めてここに降りて以来、下り方の海岸線区間へ向かうでなければ、尺別とのほぼ中間に在る丘陵には必ず登って太古には入江だったに違いない原野を眺めた。ヨシの群落にハンノキやヤチダモの点在するそこに変哲は無さそうなのだけれど、その都度の写真を見比べると変化が見える。何に利用されているものか、轍の目立って植生の取り払われている一角が在ったり、それが回復して別の位置に道が付けられたりしている。根室本線の線路には山側だけだった通信線が90年には海側にも通されてウルさくなった。何よりも、人工的な痕跡ばかりでなく、背の低いヤチダモが増えて成長している。湿地の乾燥化はここでも進行しているのである。

環境省の公表している植生図によれば、線路の海側には付近で唯一のハマナス群落が存在することなっているけれど、残念ながらその花を見たことは無い。


列車は2092列車。この頃、撮影可能な時間に走ってくれた唯一の上り列車である。それでも道東の早い夕暮れには露出が厳しく、ここで撮るには音別での40分近い停車を恨めしく思いもしたものだった。

この区間へは海霧を目当てに通ったこともあるけれど、それを避ける秋には道南の紅葉黄葉の時期に合わせての渡道が多かったから、ここでは晩秋から冬の入口に当たっていた。太平洋岸なので「時雨」とは云わないだろうが、冷たい雨に出会う季節でもあった。それに煙る原野も趣だ。


[Data] NikonF5+AFNikkor ED180mm/F2.8D   1/125sec@f4   Fuji LBA2filter    Ektachrome Professional E100GX [ISO160/0.5EVpush]

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留辺蘂 (石北本線) 2001

 
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