新札幌 (千歳線) 1999

&  Ektachrome Years

1999

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実を云うと、ステージ写真が中心の仕事写真では、それごとに異なる舞台照明からカラーネガが主体でリバーサルフィルムはあまり使ってはいなかった。その必要があっても、指定されるのは日本の印刷業界におけるデファクトスタンダードである富士フィルム社のRDPで、エクタクロームの出番は少なかったのである。

けれど、自分の写真となればそれしかカメラを通さなかった。誇張感の無い色再現を望んでいたから、自ずと1977年のEPR以来のコダック調に往き着くのである。後には、社会的な嗜好に合わせて高彩度化して行くのだが、これとて原色強調では無く、彩度を上げた中でも諧調再現にメリハリ感を持たせたものであった。

中でも好んで選択したのが、ウォームトーンと呼ばれたコダック社独特の暖色系に傾かせた発色のシリーズで、丁度趣味写真にカラーリバーサルを併用し始めた頃のPRZに始まって、E100系列のSWそしてGXと引き継がれたそれは、その基本製品であるPRP/E100S/同Gと性能を同一にしながらも、明らかに色再現は異なっていて、特に雨天下での鈍色発色はその情感表現に相応しく、また秋の黄葉紅葉もこれの独壇場であった。

エクタクロームの最終形となってしまったE100系列は、色再現のダイナミックレンジが広がったばかりでなく、露出ラチテュードもノーマル露出なら6EV程と思われ、これを利用してISO160露光での0.5EVの増感現像で使っていた。これでハイライト側の諧調再現に僅かながらメリハリがつき、そのヌケも良くなったからある。これはまた、ISO320で使っていたTri-Xと露出計を共用出来て好都合でもあった。(ただし、各々の露出設定はまったく異なる)

ディジタルへの移行を読み違えたコダック社の失態がなければ、今しばらくは生き永らえたと思われる。


ご承知のとおり、反転現像にて直接的に画像を得るこのフィルムの発色は独特のものである。

オーディオの世界で、80年代を通じてCDに駆逐されたアナログディスクの、この間の技術の進歩を背景にした飛躍的な音質向上による、CDとは異なる聴覚体験を与える媒体としての復権は、映像記録の分野でも十分に起こり得る事象である。けれど、印刷原稿が主用途で、一回のセッションで30本も50本もを消費するプロフェショナルの需要が世界的規模で消滅したのだから、それの生産設備を維持すれば当然に不採算事業となろう。それでも富士フィルム社が生産に拘るのは、無くなりはしない需要と技術の継承を見据えたものだが、DJ Mixなどの要求も在ってレコードプレイヤーの生産が維持されたアナログディスクと異なり、その現像所は撤退が相次いでいるのが現状である。コダック社もE-6プロセスにかかわる処方液の供給は続ける方針と云うが、コスト増は避けられず、将来リバーサルフィルムでの撮影は、高く付くものとなるだろう。(原理的に自家処理も可能、その処理キットも販売されている)


写真は、国道12号線と厚別中央通りの交差部を越えるためトラス桁の採用された架道橋へと差し掛かる3062列車。新札幌の乗降場端からのこの画角は、札幌往来の定番でもある。

晩秋の早い日没の直前、澄んだ大気を透過して天空は黄金色に染まっていた。ウォームトーンのE100SWにフジのLBA4で色温度補正すれば、こんな発色になる。

地上は既に暗く、これはISO320まで増感している。増感特性の良さもE100系列の特徴であった。


[Data] NikonF5+AT-X300AF PRO 300mm/F2.8D  1/125sec@f4  Fuji LBA4 filter Ektachrome Professional E100SW(ISO320/1.5EVPush

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国縫 (千歳線) 1999

国縫には瀬棚線への出入りで幾度か降りていた。

ここは、それの分岐駅と云うばかりでなく、構内に隣接してその東側を占めていた工場(木材工場だったと記憶するが、定かでない)への専用線も出ていて、比較的大きな駅だった。五稜郭操車場-長万部間運転の区間貨物列車1往復が停車して、その貨車の解結の他、瀬棚線内着発貨車の授受も行っていた。

急行列車の停車もあったけれど、それは1966年10月改正にて函館-瀬棚間に設定の青函局管内列車<せたな>で、それの下りがここまでを札幌行き<すずらん>に併結の関係にて幹線系統列車が停車したに過ぎない。78年10月改正から客車編成の<ニセコ>が下りのみ停まるようになったのは、同改正でのこの<すずらん>の特急格上げの代替であった。

かと云って閑駅だった訳では無く、81年度の乗車人員は167人とあって森-長万部間では八雲に次いで落部と同等である。面白いのは、函館-札幌間設定の夜行荷物列車、通称-山線夜行が、それの廃止まで深夜帯の原則通過運転に対して下りが国縫に、上りが落部に停車していた。もっとも、これは旅客よりも荷物扱いによるものだろうが、それを要する地域拠点駅だったのである。古くからの跨線橋を持つのも、その証であろうか。

駅本屋も現在に残るとおりに駅務室の大きく取られ、詰める要員の多かったことを物語る。待合室には鉄道弘済会の売店も開かれていた。

今の駅前の寂れようからは想像もつかぬのだが、そこには商店も大きな商人宿も在って、旅館は近年まで営業していたと思う。草の繁るばかりとなっている本屋両側の線路沿いには、貨物扱い施設に鉄道官舎が奥まで続いていた。


ここは、84年2月の貨物扱いの廃止により貨物列車着発線と側線全てが撤去されたものの、瀬棚線本線は、それの廃止後も待避線として残されて稼働している。対して、停車列車が1、2両の気動車列車だけとなっても長大編成に対応した乗降場の放置される中で、第一第二ともその旭川方が撤去され、希有な事例である。事由はわからない。


写真は、春浅い朝を通過する6003列車<北斗星3号>。

この国道230号線バイパスの国縫跨線橋からは、第二乗降場の撤去にて望遠画角が可能になった面があり複雑な心境だ。それは写真の上り中継信号機位置まで伸びていて、付近に待合所も設けられていたのである。左の通信線柱の空き地には鉄道官舎が建ち並んでいた。

既出の画角なのだが、Ektachrom での撮影に付きご容赦頂きたい。


[Data] NikonF4s+AiNikkorED300mm/F2.8S   1/250sec-f5.6   Non filter     Ektachrome Professional E100SW [ISO160 / 0.5EV push

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西の里信号場 (千歳線) 1999

上野幌-北広島間へ1992年7月1日に置かれた西の里信号場は、懐かしい停車場の復活だった。

千歳線起点側の苗穂-北広島間21.9キロが現在線に切替えられたのは1973年9月9日のことだったから、それはおよそ20年を経ての出来事であった。


1955年までに戦前の輸送水準に復した国鉄は、戦後の経済復興とともに伸長を続ける輸送需要に対して1957年度から第1次5カ年計画を、1961年度から第2次5カ年計画を遂行して輸送力の増強を図るも、道内の幹線線増は石炭輸送の重要線区であった室蘭本線の室蘭から三川までが複線となった他は、函館本線の41.9キロと計画外予算による室本線静狩-小幌信号場間6.9キロが着工されたのみであった。函館/室蘭/千歳線の残る区間の大部分は1965年度を初年度とする第3次長期計画にて線増対象となるのだが、それの完成までの応急的措置としてこの区間には1961年から65年に架けて信号場が相次いで開設された。多くは戦時下の陸運転換政策にて設置され、戦後に廃止されていた箇所の復活だったのだが、この千歳線旧線上に位置した西の里信号場は新設であった。

その1961年1月14日の使用開始から間もない頃、親父に連れられての日曜ドライブで存在を知り(→上野幌-西の里信号場 (千歳線) 1992)、停車列車を選んで車掌に申告すれば降ろしてももらえたので、そこの短い板張りの乗降台から曲線の構内の写真も撮っているけれど、ハーフ判カメラの拙いそれは、とてもお見せ出来る代物ではない。

上野幌から5.2キロ、北広島へ4.3キロのそこは、野幌丘陵の中央部に位置したものの孤立していたのでは無く、付近にはジャガイモ農場の耕作地も広がっていたし、60年代半ばからは周囲で千歳新線建設の土工工事が始められていてブルドーザが唸りを上げていた。構内下り方では本線に隣接して新線路盤が築かれ、20年を経て同名の信号場はその位置に設置された。


新線上の西の里信号場は、千歳飛行場の新旅客ターミナル建物地下への新千歳空港駅開業に際しての、同駅発着快速列車をほぼ20分間隔とする頻発運転に対応して設けられた施設である。その1992年7月1日改正ダイヤでは、主に普通列車の優等列車退避に稼働し、ここで1時間近くを停車する専用貨物列車の設定も在ったのだが、近年では大半の優等列車が130km/h運転となり、高速貨物列車の速度も向上して北広島や上野幌で先行普通列車に追いついてしまい、下り162M、上り482Mの本線(待避線)有効長を持つ施設が半ば遊休化している。適切な投資であったか疑問も残るところだ。

電車線路の支持構造が上下4線を跨ぐ構内は広々として編成列車の撮影には適地なのだが、構内であるだけにどれも停車しているように見えてしまうのが難点ではある。

周囲にフェンスが設置されてしまって以降には、それをクリアしても思った通りの位置には立てぬゆえ訪れていない。

列車は9050列車、隅田川行き。


[Data] NikonF5+AiAFNikkor ED180mm/F2.8D   1/250sec@f4+1/2   Non filter    Ektachrome Professional E100SW [ISO160/0.5EVpush]

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