□ 船室
乗船は大抵の場合、特別船室(グリーン船室)の指定席にしていた。周遊乗車券での旅客としては前述の乗船制限への自衛もあったけれど、その料金が鉄道線に比較してかなり割安だったこともある(*9)。
客船の伝統であるのか、ここでの等級差は歴然と付けられ、自由席の特別船室が列車の特別車と同等の二人掛自在腰掛に対して、指定席のそれは一人掛の独立腰掛でリクライニングもほぼ水平にまで可能、足掛け付の所謂フルフラットシートであった。このシートは青森に繋留の八甲田丸にも函館の摩周丸にも船内に往時のまま保存されているから、今でも座り心地を体験出来る。
特別船室は遊歩甲板の全てを占めており、乗下船口広間より船首側が指定席、船尾側右舷が椅子席の自由席、左舷が座席(自由席)となっていた(*10)。
客船の等級差は、この乗下船口広間(ロビー)にも現れており、そこには豪華な調度が施され、明らかに普通船室広間のそれとはグレードの異なる造作の専用売店が開かれていた。けれど、1978年にこれらは撤去されて17人分のゆったりとしたソファが置かれ、椅子席自由席の22脚(44人分)を取払って新たに「サロン海峡」なる喫茶室が設置された(*11)。しかし、残念ながら乗船の多かった深夜便では営業休止につきそれほど利用する機会はなかった。この時期には連絡船の利用が減少に転じており船内サーヴィスの向上を図ったものであるが、定員減をともなう施策は、だからこそ可能となった面もある。
□ 船内生活
連絡船に乗り込んで自席に着いた後、なすべきことは食事とシャワーである。
深夜便なら普通船室の乗下船口広間(ロビー)で鉄道弘済会による「あらまき弁当」の販売(*12)があり、これは出航前に列に並ばないと入手出来ない程の人気であった。
これに溢れれば、「海峡ラーメン」のみの営業だった食堂に入ったけれど、当然こちらがお目当ての乗客も多かった。当時の乗組調理人の方が、後年に函館朝市近くにこの海峡ラーメンの店を開かれていたが、ご高齢ゆえに惜しくも閉店してしまったらしい。この船内食堂については後述する。
シャワー室は、後の<あさかぜ>や<北斗星>に設備のものとほぼ同等の構造だが、船内らしくゆとりを持ったスペースが確保されていた。女性用は知らぬが男性用には4室が用意されて予約などは不要であり、時代としてカード式ではなくコインの直接投入式と記憶する(*13)。
このシャワー室は建造時にはなく、特別船室の洗面所スペースを利用して1970年より松前丸から順次全船に追設されたものである(*14)。
これらが終われば、昼便なら遊歩甲板の散歩(*15)となるも、深夜便なら午前4時過ぎの接岸の船内放送に起こされるまでは眠るのみであった。
(*9) 1969年の等級制廃止時点で、例えば特急・急行の200km帯の800円に対して、連絡船のそれは400円であった。指定席利用には、双方とも座席指定料金300円を別途要した。
1974年10月1日に特別車・船室が1個利用ごと収受に改められた時点では、指定席利用にて特急・急行の200km帯の800円に対して500円であった(双方とも実質的値下げ)。
(*10) ここに腰掛と敢えてJISにおける正式呼称で書いているのは、連絡船で言う「座席」とはその名のとおり座る席、カーペット敷のフラットルームであり、腰掛のある席は「椅子席」と区別していたからである。
(*11) 1978年2月9日函館からの4便に配船の十和田丸から営業を開始し、以後9月25日までに全客載車両渡船に波及した。なお、併せて普通船室では、それまでの婦人専用席(座席)を娯楽室に改装し、囲碁・将棋の用具を常備した。
(*12) 他に「うなぎ弁当」があった。昼行便なら「かにシューマイ弁当」「鮭ずし」なども売られていた。
「あらまき弁当」は 80年代に 食材を変更して「紅しゃけ弁当」に代替わりした。
(*13) 北海道時刻表1972年7月号には7分間の湯量にて100円と案内が記載されている。
(*14)1970年12月26日に松前丸に設置し、以後全客載車両渡船に順次設備された。
(*15)その上部の航海甲板への立入りは禁じられていたのだが、連絡船の先行きの見えて来た1982年の夏季からは期間を限って解放された。煙突の建つ消音器室を回り込むと船橋で立ち働く乗組船員達の姿が垣間見えたものである。
[fig 6] 函館駅のマルス102 X端末での発券。69年等級制廃止時点での特別車(船室)料金は旧1等運賃の乗車券的性格を色濃く残して距離通算制であったが、連絡船だけは別建てなものの、指定席は指定席料金を要した。これの一様化発行の規定は無く、指定席券単独でも発券された。乗船には [fig 7]に示すグリーン券を併用する。
[fig 7] 青森駅桟橋窓口(22番がそれを示す)発行の硬券。69年等級制廃止時点では自由席へはこれだけで乗れた。
[fig 8] 1983年当時の倶知安駅ならマルス端末の設備はあったはずだが、なぜか準常備券で発券された。74年10月の旅客制度改正にて、特別車(船室)料金は一個列車打切りとなり、指定席/自由席のそれが制定された。指定席の1600円は1973年の700円に対して10年で倍以上の値上げ。
[fig 9] あらまき弁当の外装。函を潰している。横書き部分が側面となる。