国鉄の業務委託駅と日本交通観光社
 


日本交通観光社は、1955年に国鉄自動車線における駅業務を受託する組織として、国鉄の主導にて設立された法人である。

戦後の混乱期を脱して路線を拡充しつつ在った国鉄自動車線には、1951年頃に全国にて140余りの駅員配置駅と300程の業務委託駅が存在した。これ以外は人員配置の無い停留所である。

駅では、鉄道駅と同様に旅客、荷物、貨物を扱ったが、地方線区においては受託者が少なく、路線の拡充に際して、その業務の一切を委託可能な組織として既存受託者の併合等により日本交通観光社、略称の日交観が設立されたのである。それは戦後の復員兵の吸収などの国策にて過剰人員を抱えていた国鉄の退職者対策の一面も持つものであった。

以降、日交観への委託駅を「第一種委託駅」と規定して旅客、荷物、貨物を扱い、それ以外を「第二種委託駅」と区別し、原則的に貨物の扱いはなかった。また、それへの監督・指導も日交観が国鉄を代行した。

ここへの委託の特徴は、国鉄が直営にて行っていた業務の全てをそのまま受託させる所に在り、利用者からは一見して直営駅との区別はつかない。

その社章は、国鉄自動車の「つばめ」のマーキングに「N.K.K」を付加したものである。


1970年より国鉄は財政難による鉄道駅の業務見直しを迫られ、その簡素化、すなわち利用の極めて少ない駅の駅員無配置化を進める中で、一応の目安として一日の利用人員が800から1500人の個所に対しては、業務の外部委託の対象とされ、その多くを日交観が受け皿となり、鉄道駅の運営にも進出したのである。

そこでの業務は、自動車駅と同様に運転・営業とも国鉄の直営と変わりなく、最も多い時期には東京南鉄道管理局を除く全局管内にて538駅を受託していた。

従業員には主には国鉄を退職した地元出身/在住者が充てられたのだが、併設の官舎に家族と生活する事例も勿論存在した。

外部からは、出札券の発行駅名に付される「マルに二の表示」にてそれを知れるものの、入場券や同一管理局内で完結する券、出札補助券など手書き券には表示されない場合が在って、それと気がつかない。

こればかりでなく、運転業務や構内作業、入換業務のみを受託した事例もあり、また乗車券類の簡易委託販売に参入した例もある。


これら国鉄からの業務委託の他、旅行業や広告業、保険代理店業などにも進出していたが、国鉄の分割・民営化時点にて、営業区域を東日本旅客鉃道の管内のみに縮小して同社子会社として存続、他地域は各旅客鉄道の分割区割に準拠して分社化された。以降は各旅客鉄道会社の関連会社として個別の変転を経ている。

 
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