函館運転所仕業の札幌における<北海><北斗>系統間渡り運用
 

石勝線を開業した1981年10月1日改正にて、函館本線倶知安回りの<北海>は設定以来の旭川着発を札幌に改め、急行<宗谷>の札幌以南区間の格上げ列車を加えて函館-札幌間に2往復の運転とされ、室蘭本線経由の<北斗>と同一区間に2系統の運行となったのだが、これらは編成を共通としても同一運用に組み込まれることはなかった。

これが避けられたのは、札幌で相互に渡る運用が生ずれば、そこでループを構成してしまう経路から函館着発に際して編成が方転するためで、各駅で所定方向運転の編成と乗降扉位置が変わり、編成順位票の差替も要するゆえである。配置区所に逆編成での入区となれば、大型の機械装置ばかりでなく検査用ハンマー1本に至るまで、その編成方向に合わせて配置されている地上側の検修設備にも支障する。

1967年の<北海>設定以降、札幌-旭川間にて室蘭本線/千歳線運行列車との編成方転は存在したのだが、運用は分離されて函館には所定方向で出入区し、特急列車の少ない時代でもあり旅客案内は個別に対応すれば十分だったのである。

以下、過去に2例のみ存在した札幌での<北海><北斗>間の渡り運用について述べる。


この特殊運用が初めて採用されるのは、1984年2月1日改正であった。

1981年10月改正からキハ183系で運用されて来た13・14D<北海3・4号>をキハ80系列に置替えるに際してのことで、183系の増備と共に80系の運用離脱が進む中で運用効率を確保する苦肉の策でもあった。

函館運転所による80系の基本7両の南側に2両を増結した9両組成にて[函3札12函7札(ョ)札2函13札6函](列番のDは省略)と回る仕業がそれであり、一日に函札間1往復半の行路を函-札-函のループ運行に室蘭/千歳線運行を加えたことで、6Dは所定方向にて函館運転所へ帰区とした。

また、編成順位票についても、この当時、札幌発着列車は同駅在姿で桑園方を1号車としていたゆえ、運用担当側の函館で12D-7D/2D-13Dと折返す際に差替を要するのみであった。

13D・12D、7D・2Dは全運転区間で他の80系列車と方転運転となるのだが、たまたまであろうが、キハ80系列の9両編成は食堂車が組成の中央に当り乗降扉の位置は正方向編成と揃っていたから旅客案内上にも好都合であり、マルス手配も編成中間に入るキハ82の定員と特別車(G車)順位に留意すれば良かった。


183系の増備がひととおり終了し、それへの置替の進展して迎えた1985年3月14日改正は、84年2月改正を深度化し鉄道特性の発揮出来る都市間/大都市圏/地方都市圏の輸送改善に重点の置かれ、道内都市間輸送を担う特急形気動車では、運用編成を減車の上でその捻出分による増発にて特急列車網の整備が進められた。

函館所では車両需給上からキロ182が不足し、これを組成しない普通車のみの6両編成にて上記の列車が置替対象とされ、それは[函3札12函9札(ョ)札2函13札8函]と回る2組使用の運用に、ほぼそのまま引き継がれた。これも少ない車両での運用効率を重視したものであろう。

ここでは、函-札-函のループ運行に室蘭/千歳線運行を付加した函札間1往復半の行路が真価を発揮して、9D/2Dの札幌運転区への入出区方向が同区配置編成と同一となり札幌区滞泊時の給油や汚物抜取り、仕業検査に寄与した他、異常時の車両差替えにも対応していた。

函館所と札幌区の配置車は、函館本線を基準に車両に編成の向きが統一されており、所定方向の函館所編成を室蘭本線/千歳線経由で運転すると相互に逆編成となるのである。

13D・12D、9D・2Dの全運転区間での他の183系列車との方転運転は、中間車は全車がキハ182とあって、指定席車のマルス手配に自由席設定など営業上でも障害は生じなかったものである。各車の乗降扉位置は逆転したのだが、各停車駅では乗降場に示された乗車位置付近には多少前後してもそれが停止したから、旅客案内上の影響も軽微であったろう。

13・12Dに限れば、相互に方転した<北斗>運用の間に<北海>運用を挟み込んだことにより、この改正で食堂車を外してキロ80を方転した函館所のキハ80系-6両編成による11D・14D<北海1・4号>と全区間で乗降扉位置が揃えられもしていた。

 
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