1列車<北斗星1号>へのスハフ14の増結運用
 

1988年3月13日にて設定の上野-札幌間 1列車<北斗星1号>に、この運転開始の一ヶ月後からしばらくの間、函館-札幌間で座席車-スハフ14の増結が施行された。


増結に至った事由

函館を4時台となる1列車の時刻には、88年3月改正前に青函連絡船の深夜便から接続となる1D<北斗1号>の設定があり、連絡船からの乗継客ばかりでなく、函館-札幌間各駅からの利用者も少なからず存在していた。

改正後の1列車は、これらの旅客に対応して編成中10号車の寝台利用を函館までに制限したのだが、爆発的な<北斗星>人気により札幌方面への通し旅客が多く、この双方の需要を賄いきれずに、半ば苦肉の策的に施行された措置であった。


運用

この増結は現地函館基準で88年4月11日より実施され、編成札幌方に座席車組成の<北斗星>が実現した。当時、札幌運転所のスハフ14は配置全車が運転所在姿で前位を函館方(函館本線基準)としていたため、1列車のオハネフ25とは後位が相対し、特急の編成美としては褒められたものではなかった。

当該車の送り込みには、前日の202列車<はまなす>が使われ、編成函館方前位に連結して回送された。締め切りが基本であったけれど、同列車の混雑により多々営業していた。

車両需給からスハネフ14の使用も在ったと聞くが、確認されていない。


運転の実際

当時のスハフ14は24系との併結(混結)改造を受けていないため、オハネフ25とは電源回路は勿論、制御回路も繋がらず(ジャンパ栓が異なる)、ドア扱い、車内放送等が個別の扱いとなり、専務の車掌が乗務していた。

営業的には、あくまで<北斗星>寝台の昼間利用であったので、函館-札幌間各駅相互間の乗車区間を指定した立席特急券の所持を要し、自由席特急券や周遊券では乗車出来なかった。ただし、乗客の<北斗星>編成の施設利用を避けて貫通幌は使用していなかった。

<北斗星>編成の一部と言うよりも、それと同時刻で運転された愛称名の無い臨時特急のような運行ではあったが、特急形として誕生した14系座席客車の「定期運行の特急列車」への希有な運用例である。

さて、この運用の終了時期であるが、残念ながら記録が無い。88年の夏期繁忙期には<北斗星>本体への寝台車の増結があり、輸送力列車だった6003・6004列車<北斗星3・4号>も毎日運転の季節列車となったゆえ、その時期には終了していたと推定している。

 
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