室蘭本線 豊浦-洞爺間の線増
 

旧線

鉄道省が1928年9月10日に開通した線路は、噴火湾に迫り出した山塊の急峻な崖下を海岸線沿いに建設されていた。施工基面高 24M30の辨辺(現豊浦)場内から直進して反向曲線線形の第二茶志内トンネル(旧)から第一茶志内トンネルで海面近くまで下り、そこから海岸線をトレースしながら赤岩トンネルと黒岩トンネルを経て虻田(現洞爺)に至る経路である。

18箇所のR300から400の急曲線を数え、上り列車には豊浦への急勾配も存在する上に、安山岩質の斜面が不安定であり、落石障害や多々浪害も受けるなど災害線区でもあった。

近年では、1967年9月27日に長雨による大規模な地滑りを発生、復旧作業中の10月3日には再崩落を起こし同月21日(19日との情報もある)までの不通の記録が在る。


(旧)第二茶志内隧道

計画時の本隧道は、辨辺停車場下り方をR800の緩い左回り曲線として、そこに入口抗口を置いて坑内を直線とした設計であり、これにて着工されたのだが、掘削まもなくに温泉沃土状の軟弱地盤に遭遇し、やむなくこれを迂回する線形とした結果、反向曲線線形となり入口抗口は海側位置に変更され、併せて辨辺停車場は直線の構内となった。

これにて放棄された抗口とそこに至る切通し状の曲線用地は、後に後述の別線新線に利用された。


赤岩トンネルの疑問

現在、上り列車の車窓からも眺められる旧線赤岩トンネルの遺構は単線の並列となっている。これは開通後にその海側に単線線路を増設したものと推定されており、その豊浦方には線路2線分の用地も残されているのだが、その増設事由に使用目的が不明である。

列車交換設備と考えるのが自然としても、ここに信号場設置はもとより、戦時下に計画され未成に終わったとの記録も今のところ未見である。


線路増設工事

この区間も、国鉄の「第二次五カ年計画」での予算不足にて手の回らなかった地方幹線の輸送力増強を主題の一つとし、函館/室蘭本線の森-本輪西間の多くの区間も線増対象とされた1965年度を初年度とする「第三次長期計画」に含まれた区間である。

前述のとおりの状況から山塊を隧道で通過とした別線ながら、上下別の単線路2本の新設で計画された。

下り線用とした新線は1965年2月に着工して、豊浦場内から既設線山側の山塊中腹を第二茶志内トンネル(新)内の10パーミルで上った37K400Mを頂点に、第一チャストンネル(623M)、第二チャストンネル(58M)、クリヤトンネル(1697M)の3キロ余りを10パーミルにて下って幌内川に至り、ここから洞爺手前までの700メートルを既設線の山側の腹付け線増とし、複線断面の洞爺トンネルを新設して場内に接続として、1968年9月28日に既設線を切替えて単線での使用を開始した。

第二茶志内トンネル(新)は、前述の豊浦下り方に放棄された路盤と抗口を活用したもので、ここに豊浦は建設時計画どおりのR800曲線上の停車場となった。

上り線用の新線は、使用を停止した既設線路盤を一部にて活用しながらも、その山側を多くの隧道で通過する設計として保安度を向上させ、幌内川から黒岩トンネル(新-400M)、新クリヤトンネル(859M)、新チャストンネル、第三茶志内トンネル、第二茶志内トンネル(新)を新設、この間に豊浦へ続く勾配は最急でも3パーミルの縦断線形とされた。上り線の第二茶志内トンネル(新)は、出口抗口が廃された既設線の第二茶志内トンネル抗口と並んで、それの現設計であった直線線形にて豊浦場内に達した。したがって、この新しい第二茶志内トンネルは、旧線の第二茶志内トンネルをその内部で横断し、入口側抗口が設計本来位置となって下り用新設線第二茶志内トンネル抗口と並んだ訳である。

単線使用中の新設線を下り線、これを上り線とした複線の使用開始は1970年の6月30日であった。

なお、旧線の第一茶志内トンネル近傍に設置された新線トンネルを第三茶志内としたため、現在線に第一茶志内トンネルは存在しない。

これにて、この区間の5K340Mは、下り線が136メートル、上り線が128メートル短絡され、それぞれを読替える距離更正点が洞爺下り場内信号機近傍の41K207Mに置かれている。営業キロ程の5.4キロに変更はない。


=参考文献=

北海道鉄道百年史(全三巻) : 国鉄北海道総局 1976-1981

札幌工事局七十年史 : 国鉄札幌工事局 1977

鉄道百年略史 : 鉄道図書刊行会 1972

新日本鉄道史 : 川上幸義 鉄道図書刊行会 1968

北海道の鉄道 : 守田久盛/坂本真一 吉井書店 1992



 
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