pilgrim's progress
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ホテルGOのスタンプカード
高山線への撮影で常宿にしていたのが、駅正面の道をパチンコ屋の角を折れた所に在った Hotel GOです。
ホテルジーオーなどと洒落た名前ではありません。ホテルゴウですらなくてゴーです。フロントで聞いたところでは、80年頃に旅館郷を建替えてホテルに業態変更とのこと。そう云えば、古い高山駅の写真に「歓迎 旅館郷」の手描き看板を見た覚えがありました。
その80年代に高山線へ通い始めた頃には、まだ夜行<のりくら>も運転されていて、それの深夜発着となる高山駅は24時間利用出来ましたから、駅寝を決め込んでいたものですが、さすがに連泊ともなると気が引けて、たまに泊まるようになったのが最初でした。当時には、ひだホテルと云うシティホテルは在ったものの、ビジネス系となると市内でも数軒の時代です。
居心地の良いものですから、以来10数年に渡っての常宿になりました。「居心地の良い」と云うのは本来意味と少々違っていまして、上のカードに描かれた外観は街路樹なぞに囲まれていますが、実際には両隣も建物が迫っていて客室窓からは隣の壁の見えるぱかりでした。けれど、朝は早いし夜も寝るだけなので気にするでなし、不覚にも、それが各階の何号室だったか失念してしまったのですが、一番宿泊料金の安い、エレベーターシャフトの横となっていた部屋を定番にしてもらい、そこは部屋の割り付け上ベッドの脇をカニ歩きせねばならない程の狭さながら、それを逆手にとればベッドの上から動かずに部屋中にアクセス出来た訳で、機材のメンテや食事するにも便利だったのです。なにより隣室と直接に接していませんから、遮音の良く無い造りに対して夜中から起き出してガサゴソとするには気兼ねが要らない利点がありました。
でも、それにも終わりがやってきます。ホテル料金の価格破壊の時代に、郊外型のビジネスホテルが国道沿いに建ち並び、観光客には駅前に大手資本が進出するに至って、遂に力尽き99年に閉館・廃業を迎えてしまいました。
ビジネスメンバーズCARDと銘打たれたスタンブカードは、固定客の確保策だったのでしょうが、時既に遅くて私を含めて常連客への要らぬサーヴィスに終始したような気がします。96年や97年には随分とその恩恵に預かったものでした。最後のスタンプは99年の2月13日。埋まらずに終わったカードは、30年近い高山通いの記念品となっています。あの狭い部屋で、翌日の天候を気にしつつ一杯やりながらコンテの考案に悩んだ旅は忘れないでしょう。
余談になりますが、これの無くなってから駅前の何軒かのホテルを流浪した後に常宿化したのは、高山駅弁の金亀館工場跡に建てられた高山カントリーホテルです。ここでも、混雑時でも何とか部屋を確保してもらったり、たまたまの花火大会の夜にはそれの見える階上に部屋を用意してくれたりで世話になりました。
2004年10月20日の台風23号被害にて高山線北部に長期の不通区間を生じてからは、しばらくご無沙汰したのですが、この間に、ここが構造計算書偽装の姉歯物件と解って驚きもしました。長期休館の後の2007年の再開業では、すっかりスタッフも変わってしまい、つくづく罪な事件だったと思ったものです。
2013/06/21