白老 (室蘭本線) 2009

&  Ektachrome Years

2009

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室蘭本線の東室蘭から苫小牧に至る沿線は、道内では希少な2次3次産業/人口の集積地域である。60年代の終わり頃には、どこまでも代り映えのしない海沿いの原野が続き、時折往き過ぎる街並を車窓に見たものだったが、今ここを特急列車で走れば、住宅に事業所や工場が視界に途切れること無く、並走する国道にはロードサイドの店舗が建ち並んでいる。

けれど、沿線の各自治体は、一人勝ちの苫小牧市を除き人口流出に悩み、そこの鉄道駅も利用者数を減らし続けているのである。


室蘭民報の報道によれば、白老町の住民基本台帳上の人口は、この2013年3月で1万9000人を割込んだと云う。1984年に2万4千人で最大人口を記録した後、主には自然減と思われる漸減傾向には在ったのだが、2003年の大昭和製紙の日本製紙への経営統合や2009年の旭化成関連の2工場の閉鎖による流出が大きい、と記事は伝える。

白老駅の乗車人員も、最大人口に近かった1981年度の960人は、1992年度の乗降客数で1588人(乗車人員ならそのほぼ半数と推定される)を経て、2005年には590人と記録されている。手元にデータは無いが、現在ならさらに減じていることだろう。

行政も手をこまねいたでなく、1989年度より石山地区に3箇所の工業団地を整備して企業誘致を進め、道央道の白老インターとの接続性も良いためか、或る程度に工場立地には成功している。けれど町内の雇用確保には貢献したにせよ、従業員および家族の他地域からの町内定住を促進するまでには至っていないのだろう。鉄道沿線からの通勤の多くは自家用車利用と思われ、白老駅の利用増加にも寄与してはいない。


この工業団地へのアプローチであり、道央道の白老インターチェンジと国道36号線を連絡する道道86号白老大滝線(1994年10月1日付にて731号から番号変更)の白老跨線橋は、その開通当時にロケハンしていて、そこからの俯瞰のコンテも持っていたのだけれど、電化区間でもありずっと後回しにしていたのである。

この跨線橋は近年での例によって、フェンスが線路直上部のみならず長区間に渡り設けられている。脚立を持ち歩かねばならなくなった所以である。しかも道路車線が狭隘な上に交通量も多く、三脚は立てられずに脚立に乗っての手持ち撮影となった。線路側には架線柱が連立しており、その間隙に重連の機関車を収められる立ち位置はピンポイントにならざるを得ない。背景や画角もそれに拘束されてしまうから、やはり電化区間は難儀である。


列車は、この第一白老川橋梁(137M)上の1列車<北斗星>。

ここでも、河川敷に生育する樹木は水路部の見えない程に放置され、冬枯れに相応しく思える。

背景になるのは、工業団地の食品加工業種の進出した一角らしい。


[Data] NikonF4s+COLOR-HELIAR 75mm/F2.5SL    1/500@f4+1/3   L39 filter     Ektachrome Professional E100G [ISO160 / 0.5EV push]

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礼文-大岸 (室蘭本線) 2009

礼文-大岸間の線増は、急峻な地形が海岸線に迫り落石障害や護岸への浪害の在った断崖下の既設線に対して複線の別線にてなされ、1975年10月22日に使用が開始された。現在も単線にて残る区間を除けば、長万部-本輪西間の線増は1965年を初年度とした第三次長期計画によるものであったから、1972年6月着工のここは、それに含まれなかったことになる。この4K090Mが最後まで残されたのは、新設される礼文浜トンネルが、そこの地質から工法等に一層の検討を要したゆえと思われる。

既設線上の岩見トンネル(164M)が保守に手を焼いたように掘削区間の地山は、変朽安山岩と安山岩質角礫凝灰岩が互層を成し、その断層および破砕帯に沿い熱水による変質を受けて粘土鉱物を生じた不安定な地質であり、俗に言う「緩い地山」だったからである。それの完成から25年後の1999年11月28日に発生したコンクリート覆工の剪断剥落事故も、遠因は地山にあるとされている。


複線の新設線は、礼文駅構内上り場内信号機付近から山側に分岐、上記礼文浜トンネル(1236M)と新達古武トンネル(97M)を掘削して起点26K900M付近にて既設線に接続する3.1キロで、新線の上り線が既設単線と結ばれ、接続点から大岸までは下り線を山側に腹付した線増である。カットにも接続点の名残である不自然な曲線が大岸上り方に見える。礼文浜トンネルを4パーミルの片勾配として茶津付近の施工基面高を上げた関係から大岸方に10パーミル勾配を新たに生じたが、これは室蘭本線の最急勾配と同等設計である。

放棄された旧線路盤は永らく残り、茶津トンネルや達古武トンネルは漁具置場に利用されていたのだが、後にこの区間が道道608号大岸礼文停車場線の拡幅整備に転用され、2013年度に着工予定の同線西側区間の整備には岩見トンネルも転用の模様である。(写真に見える元キャンプ場に伸びる轍も旧線跡である)


階段でアプローチ出来るようになった茶津崎には、心境複雑ながら何度か登らせて貰った。88年以降のことである。ここで知るが、公園に整備された上部には砦としての壕が掘られていて、85年に先端に向けての斜面上方から眺めた草原の直線の段差はそれであったか、と納得した。

列車は、8002列車<トワイライトエクスプレス>。

背景の紅葉黄葉時期に合わせたのだが、この時刻には低い西日に岬の影が延びてしまった。


=参考文献・資料=

北海道鉄道百年史 : 国鉄北海道総局 1976-1981

札幌工事局七十年史 : 国鉄札幌工事局 1977

北海道建設新聞 2012年7月20日号


[Data] NikonF5+AT-X300AF PRO 300mm/F2.8D   1/125sec@f4+2/3   Fuji LBA2+SC37 filter

Ektachrome Professional E100GX [ISO160 / 0.5EV push]    Edit by CaptureOne5 on Mac.

 
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