苗穂 (函館本線/千歳線) 2003

&  Ektachrome Years

2003

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鉄道を撮るのに可変焦点レンズは使わずに、すべて単焦点だと以前に書いた。[番外編 6] 急行“天北” 1984

そのラインナップの300ミリは、この相模原市中央区から遠く無い町田市野津田に所在するTokina社製のAT-X300AFPROである。とうに製造中止となったこのレンズの、ここでそれを使用したカットに付した撮影データ部分がWeb検索に引っ掛かるのが時折見て取れる。試しにこれで検索をかけてみると、驚くことに市中在庫がまだ在って、その価格からも導入を検討する人の居るのが頷ける。ならば少し書いておこうと思う。


この焦点距離の望遠レンズは仕事写真には必需品ゆえ、Nikkorに大口径の無い時代から導入して機材を更新しながら使い続けており、趣味の写真にも必要とあらば持ち出していた。けれど、当時に手元に在ったAFタイプは、2.7Kgの重量に全長が27cmのサイズで、決して小さくは無いTenba社のバッグへの収納性は良く無かったのである。これをバックフレイムに固定しての行動や雨天も有る現場での作業上からは好ましいと云えず、まだNikonにカタログされていた中口径を導入してみたものの、やはり明るさや描写に満足出来ず、22cmの全長を実現していたAT-X300AFⅡにその事由だけで差替えを決めたのである。バッグに縦方向にも収納可能なそれで、作業性は大きく改善された。

AT-X300AFPROへは、その発売時に更新している。


レンズマニアではないので、ユーザーレヴェルでしか書けないが、描写性能はNikkorの大口径に遜色無く、開放での解像力も劣らない。解像度や諧調再現などマニアックにデータを追えば差異は見られるのだろうが、実用上は同等である。色はどちらかと云えば暖色系に傾く。もっとも、これはNikkorばかり覗いているからかもしれない。金属製の鏡筒の造りもしっかりしていて不安は無い。

純正レンズと争わねばならない価格面からか、内面処理に構成レンズのコーティングの甘い気もするけれど、これを振り回して次々に変わる光線状態下での速写/連写の必要でも無い限り問題視するでもない。

Nikkorとの明らかな差異は、開放時のボケの変化の連続性に感じられ、それに拘る必要の在った仕事写真には流用しなかった理由だが、屋外で、まして鉄道撮影となればまったく気にならなかった。これは好みの次元でもあるだろう。

加えて、このコンパクトサイズの実現にて生じた周辺像高の足りないディストーションに周辺光量の不足がある。とは云え、フィルム撮影で撮影時に若干の工夫を要したこれらも、ディジタルならば問題ではなくなっている。

困ったのは、専用の後部差込式で用意されているPLフィルタが、製造中止による付属品払底で経年劣化による更新が叶わぬことである。これもディジタル撮影やフィルムでもネガなら支障しないが、リバーサル撮影に備えては光熱を避けた冷蔵庫保管にて延命を図らざるを得ない。

操作性やカメラ機材との連動を云々する向きもあるようだが、露出もピントもマニュアルしか使わないのでこれは評価出来ない。AF対応で粘りの足りなかったピントリングは、グリスを変えて調整してもらった。このピントリングの回転角度は大きく取られており、マニュアルでの微調節向きである。

余談めくが、レンズメイカーの保守/修理対応は総じて良い。COLOR-HELIARのKosina社にもそれは感じられた。

野津田の工場に持ち込んだこのグリス入換時も、小一時間程で各部の点検に調整まで済ませてくれたものである。


写真は、苗穂東方複々線区間での2列車<北斗星2号>。

勿論、この日没方向(西野変電所への送電線が見えるので迷沢山と思う)と時刻は経験的に承知していた。

既出の画角なのだが、苗穂 (函館本線/千歳線) 1992 Ektachromeでの撮影にてご容赦いただきたい。その10年間でJRタワーが出現している。


[Data] NikonF5+AT-X300AF PRO 300mm/F2.8D  1/125sec.-f5.6+1/2  Non filter  Ektachrome Professional E100GX [ISO160 / 0.5EV push]

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尺別 (根室本線) 2003

道東太平洋岸の秋は、霧に閉ざされる日々は少なくなる。

丘陵の低い落葉樹-シラカンバやミズナラは赤茶色に染まり、原野のハンノキにヤチダモは黄茶色に、そして海岸湿原に続くヨシ群落も薄茶色に立ち枯れて往く。華やかな時期の無くて、一飛びに渋みの在る世界へと遷り、冬枯れの準備が整う。それは、例え秋の柔らかな陽光の下であったとしても寂寞感のある光景だろう。曇天ならなおさらだ。

そこに、かつては栄えた集落の残滓である廃屋の埋もれるのは、寥々たる荒れ野の様である。


その景観に位置する尺別を秘境駅に数えたくなるのも解らぬでないが、自動車の行き来する国道も間近で、音別市街地なら徒歩での到達もそれほどに遠くはない。なにより、そこに暮らす人の有る民家も残る。10年程前に5戸と報告されたそれの、今はどうなのだろう。潜在利用者である人口の皆無となれば、秘境以前に駅の存続も怪しい。


尺別川と音別川の間には背後の丘陵地から二つの尾根が半島のように海岸線に向けて伸びている。ご承知のとおり、どちらも鉄道の俯瞰撮影の格好の足場として良く知られている丘である。特段に名称のある訳ではないから、訪問者各人が勝手に呼称していて混乱もあるようだ。音別川沿いの墓地公園のある丘を「音別の丘」、火葬場の在って尺別方向を遠く見通す側を「尺別の丘」とするのが一般的と聞くが、その尾根の国道を越えた延長上にもうひとつの「尺別の丘」があって、こちらの方が其の名には相応しく思える。


写真は、尺別を通過する2091列車。

この年、9月26日早朝に発生した十勝沖地震からひと月程後だったが、国道の亀裂も生々しく、この立ち位置周辺にも小規模な崩壊跡が見られたものだった。


[Data] NikonF5+AT-X300AF PRO 300mm/F2.8D   1/250sec.-f5.6   Non filter   Ektachrome Professional E100GX [ISO160 / 0.5EV push]

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七飯 (函館本線) 2003

七飯 (函館本線) 1981 の続きである。


その撮影位置は、今では地面ごと無い。2001年3月24日にここに開通した国道5号線バイパス函館新道の用地となり、切り崩されたためである。

1980年代半ば頃には、その近くで宅地の造成が始まって新たな俯瞰ポイントとなり、そこへ立つことも無くなったのだけれど、90年頃から函館線の車窓に耕作の放棄され荒地化するのが見て取れて訝しく思っていたところ、理由はそう云うことだったのである。

城岱牧場への新道となる町道上藤城8号線(通称-城岱スカイライン)も開通して旧道となった山道は、この工事にて入口部分が付け替えられ、そこの水路とともに新道をくぐり抜けて斜面を急坂で上ることとなって、周囲の樹木も伐採されたから桜町造成地より高度のある位置が得られるようになった。切取り斜面にはタラップも設置されて、さらに高さも稼げる。水路寄りの斜面なら上磯方向の海峡を大きく背景に画角が組めた。なお、この旧道は町道桜町8号線、造成地は町営桜町団地と云う。


高架橋からの盛土区間を往くのは、3051列車。ここでのDF200の仕業も増えて来た頃である。

曲線を描く高架橋区間を内側から見る視点の失われたのは残念なのだが、西に寄った太陽の斜光線を受ける位置でもある。午後の<ニセコ>も無ければ、生ずるフェイズを避けての夕刻向けのポイントと知る。

斜光線の照度と色合いなら晩秋に限るけれど、天候の安定しない時期でもあって幾シーズンか通うことにはなった。

最近では、2011年にもここに立ったけれど、その向こうに新幹線の高架橋が立ち上がりつつ在り、その完成までは封印せざるを得ない位置となっていた。さて、それの開業の暁には藤城線は貨物専用線と化すのであろうか。


[Data] NikonF5+AT-X300AF PRO 300mm/F2.8D  1/250sec-f5.6+1/2  C-PL filter  Ektachrome Professional E100GX [ISO160 / 0.5EV push]

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広内信号場-西新得信号場 (根室本線) 2003

勾配緩和線としての狩勝新線の、落合からルーオマンソラプチ川の谷を南下して、80メートルを上った標高449M30に新狩勝トンネル抗口を置き、道立新得畜産試験場の開かれていたオダッシュ山麓に広がる緩斜面に達して、そこを二度回頭しながら200メートル余りを下る経路選定は、地形からの必然の選択だろう。加えて、畜産試験場の存在は、用地確保からも既存農道の資材運搬路としての活用からも考慮されたものと思える。

ただし、計画当初には広内信号場から直進して十勝清水に至る経路が検討されており、新得町の猛反発にて撤回した経緯がある。


新得接続とされた新線は、広内信号場の場内を過ぎて間もなくの第二広内トンネル入口、滝川起点271K331M地点から約2キロに及ぶR500の左回り曲線にて、ほぼ360度のひとつめの転回をする。12パーミル勾配を保つ縦断線形からトンネルは牧草地の地下通路であり、斜面に置かれた出口から築堤を構築し高い広内陸橋で第一広内トンネルへと降りて往く。ここは新線の核心区間と云ってよく、十勝清水側の通称-南山の斜面やそこから続く尾根に巡らされた林道の随所からの遠望は鉄道屋の定番だった。


1994年2月22日の17時45分頃、このR500曲線途中の起点128キロ付近にて、運行中の4010Dが折からの暴風雪による吹き溜まりに突っ込み編成前部の3両が脱線し、先頭のキハ183-502は横転する事故が発生した。強風による直接の転覆では無いのだが、これを契機にこの区間の曲線内側に防風柵が連続して設けられ、後に外側にも設置されるに及んで、ここは撮影地としては失われたものとなった。


写真は、広内陸橋を上る2070列車。


2007年に広内信号場の上部、標高400メートル付近に北海道横断自動車道(道東道)が開通して、そこの盛土法面や残された工事用道路からの高高度俯瞰が可能に見える。けれど、その画角は、やはり防風壁の連続するこの区間となるゆえ、まだ試してはいない。


[Data] NikonF5+AT-X300AF PRO 300mm/F2.8D  1/250sec@f4+2/3   C-Polarizing filter

Ektachrome Professional E100GX [ISO160 / 0.5EV push] Edit by CaptureOne5 on Mac.

 
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