北入江信号場-有珠 (室蘭本線) 2002

&  Ektachrome Years

2002

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東海道/山陽本線の電化進展にともない余剰となったD52形蒸機の函館-東室蘭操車場間への転用は、ここでの貨物列車の1000トン牽引に際して、七飯からの下り専用線を含む駒ヶ岳山麓区間と噴火湾に落込む急峻な地形の静狩-洞爺間に介在する10パーミルの標準勾配での牽引力向上を意図してのことであった。DD51形内燃機に置替られてからも、当該区間での速度は大きく低下していたものである。


室蘭本線上には、これに加えて洞爺から有珠にかけても、短いけれども同様の勾配区間が存在する。7000から8000年前と推定される有珠山の山体崩壊による岩屑なだれの堆積物上を通過する区間である。

この、現在「善光寺岩屑なだれ」と通称されるそれは、成層火山であった有珠山の山頂直下の崩壊により、そこを要として扇状に噴火湾に達し、その西端は現在の虻田漁港付近に、東端ではエントモ岬に至った。この間の海岸線は堆積物による複雑な地形となり、後背には流山地形が続いている。入江川左岸には堆積物側端崖が生成時の状態で現存し、世界的にも希有な例と云う。学術的に断定はされていないようだが、エントモ岬から内陸への段丘崖もそれを思わせる。

洞爺から直進した室蘭本線は、堆積物側端崖を避け、10パーミル勾配に取り付きながら右へ迂回し、さらに左に回ってサミットに達し、周囲の小高い流山の間を直線的に抜けて洞爺側とは逆の曲線で有珠へと下る線路選定がなされている。サミット部には1945年と1994年の2度に渡り北入江信号場が設けられた。


写真は、R300からR360の反向曲線を有珠へと下る2051列車。

DF200がこの区間へ進出しつつあった頃で、この宮城野発着の高速貨物A列車は、比較的早い時期からそれの牽引となっていた。運行図表では、DD51の牽引列車に比して明らかにスジが立っていて、その性能差が見て取れたのだった。


ここは、2010年8月号「JTB時刻表」の表紙写真に起用されたのがきっかけと思われるのだが、最近には多くの撮影者を集めている。その位置は植生が踏みつけられて露頭と化す有様なのだけれど、以前からの写真屋の定番はこの畑作地縁からの画角であった。

90年代の初め頃だったろうか、農地の拡張整備に際して周縁部の樹木が伐採されて視界のとれるようになったのである。70年代半ばまでは、逆にこの背後に原野が広がっていて、そこからこの築堤を見上げた覚えがある。


農地の所有者に聞けば、そこを掘れば岩やら大石がゴロゴロ出ると云う。それは、旧有珠山を構成していた8000年の彼方からの安山岩である。


[Data] NikonF5+AiNikkor105mm/F1.8S    1/500sec@f4      C-PL filter      Ektachrome Professional E100GX [ISO160 / 0.5EV push]

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沼ノ端 (千歳線/室蘭本線) 2002

苫小牧市沼ノ端地区の駅北側に向けての住宅地としての拡張は凄まじい。それは北栄町とか拓勇町と名付けられた西部が中心だったのだが、近年には駅近くを南北に通過する国道234号線を越えて東方に進出しつつある。

駅も北口の開設に際して現況のような橋上駅に建替えられ、かつての準急の末裔とはいいながら特急列車が停車とは想像だにしなかったことである。営業フロントの人員配置も遠く無いと思える。

国道234号線のウトナイ湖側での(湿原の)排水工事を認めたのは1970年代に入った頃だった。それを土地造成の開始と捉えれば住宅の進出は遅過ぎる程なのだけれど、ここは当初には工業用地として造成されたものではないかと推定している。産業構造の変化にて工場はコンパクトになったけれど、それの集積がここに人を呼び寄せたと云うことなのだろう。


そのさらに東側、後の国道235号線の自動車専用道路部(日高自動車道)と一般道路部が併用するウトナイ高架橋に繋がる盛土部は78年冬には構築されていたと記憶する。湿原での造成工事の向こうに盛土区間の続くのが車窓にも見えて下車したのである。この時には、盛土の上部には木組みによる何やら見張り台のようなものが建てられており、そこからは線路が遠く見渡せたのだけれど、位置的に画角を取るには苦しくロケハンだけに終わった。

その翌年か、翌々年か、これも記憶が曖昧ながら、線路上部への桁の装架を確認して再訪したのだが、着いたそこには桁の躯体は丸出しだと云うのに背の高いフェンスだけは既に取付けられていて落胆したのを覚えている。

結局のところ、ここで撮るのは同様のフェンスが非電化区間にまで増殖して4段のGITZOと脚立の装備が常態となって以降のことだった。

新製間もないDF200-54に牽かれるのは、3061列車。

画角右の造成地に住宅の建ち並ぶのもそう遠い将来ではないだろう。


[Data] NikonF5+AiAFNikkor85mm/F1.8D 1/250sec@f4 C-Polarizing filter Ektachrome Professional E100GX [ISO160 / 0.5EV push]

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