本輪西 (室蘭本線) 1998

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1998

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1925年8月20日に長輪東線上の停車場として開駅した本輪西は、その後まもなくに隣接して建設の進められていた室蘭土地埋立株式会社による本輪西埠頭の第一期工事の竣工にともない、ここへの専用線を持つこととなった。それは岸壁における海陸連絡の臨港線であった。

続いて、本輪西川の旧河口付近を開削した貯木場へ駅本屋側の下り側線からの分岐線が設けられ、現在の港北町1丁目地内にLPガスの製造供給施設が集められると、これよりさらに分岐し本輪西川に架橋しての専用線が引き込まれた。

戦後の1956年12月には西側の埋立地に日本石油精製による室蘭製油所が操業を開始し、この際には列車の取扱増に対応して構内の拡張工事が行われ、現況の構内規模となっていた。

さらには、中卯埠頭に油槽所が設置されれば、これも本輪西川に架橋を要する専用線が上り側線群からの分岐にて敷設された。


この貨物輸送の拠点駅化は、室蘭湾内に面し室蘭対岸に位置するとなれば必然の展開であったが、近年の鉄道貨物輸送の衰退とそれを受けた1984年2月改正での国鉄自体の車扱輸送からの大幅な撤退により現JX日鉱日石エネルギー室蘭製油所関連を除く専用線を失い、中卯埠頭への一部が橋梁とともに名残を留めるのみである。

1980年5月15日付にて施行された北海道総局直轄管内室蘭本線の運営見直し時には現状を維持した体制も、この1984年2月改正を機に業務全てが日交観北海道支社(現北海道ジェイアールサービスネット)へと委託とされ、その後、1986年11月にこの区間にCTCが施行されると運転要員が引上げられ、製油所専用線へは本線機の入線により、ここでの構内作業も廃して構内掛の配置も無くなっていた。残る旅客フロント業務も1981年度に231人を数えた乗車人員が2008年度に33人まで減らして、2011年4月1日付にて業務委託を解除、以降には全くの無人駅である。

駅勢圏にあれだけ住宅街の存在しながらの利用実績は、やはりバスに敵わぬフリークエンシィの問題であろう。


写真は、本輪西を通過する1列車<北斗星1号>。

本輪西市街地を取り囲む丘陵の東端、国道が回り込む位置の斜面が改修され、そこにステップの付けられたのは90年代半ばくらいと記憶している。完成しつつあった白鳥大橋を背景にすべくそこを昇り、毎度のクマザサを掻き分けながら稜線を往って、ようやく視界の開けたところは小さな畑作地になっていた。何のことは無い、そこは古くから在る雇用促進住宅の裏手で、畑は住民達の家庭菜園らしいのだった。熊笹との格闘後だけに拍子抜けした覚えが在る。肝心の大橋背景の画角だけれど、全景では列車とスケールが違い過ぎて困ってしまった。


[Data] NikonF5+AT-X300AFⅡ300mm/F2.8  1/125sec@f4  C-PLfilter+Fuji LBA2filter 

Ektachrome Professional E100SW [ISO160 / 0.5EV push] Edit by CaptureOne5 on Mac.

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礼文 (室蘭本線) 1998

戦後の逼迫する輸送需要に対する国鉄の投資計画は、1961年度を初年度とする第2次5ヵ年計画、それを打切っての65年度からの第3次長期計画ともに「幹線輸送力の増強」が重点項目であり、この室蘭本線も道内各方面からの本州連絡線として投資対象とされた。この時点でも本州線への全貨物列車が運転されていたし、61年10月改正で設定の道内初の特急列車の経由線となるなど、将来的に函館本線からのシフトが想定されたためである。夕張地域からの石炭輸送線として1958年の敷生(現竹浦)-萩野間を最後に本輪西・室蘭-三川の複線化の成っていものの、本輪西以西区間は全てが単線のままであった。

この礼文華山トンネル(2726M)への取付けとなるR603曲線の築堤(鉄道土木用語では盛土)を含む小幌信号場(当時)-礼文間の新設線は既設線海側への腹付け線増とされ、64年3月28日に新礼文華山トンネルから着工して、67年9月29日よりこれを上り線として複線使用が開始された。66年撮影の空中写真には、工事途中の腹付け構築された盛土区間が見える。

同区間は、必然的に新設線も既設線同様の10パーミル勾配であるが、小幌信号場から1.3キロ余りを1.5パーミルで上り、起点18K769M地点で49M90の施工基面高に達した後に10パーミルで下る縦断線形の礼文華山トンネルに対して、新設線の新礼文華山トンネル(2759M)は小幌を最高地点とした連続5パーミルの設計にて上り列車への勾配を緩和している。


写真は、浅き春の淡い夕陽を浴びて築堤を駆け上がる8002列車<トワイライトエクスプレス>。

ここへ立つには配慮が要る。早いもの順の掟とは云え、国道あたりからの俯瞰をねらう撮影者には余りに申し訳ない位置ゆえ、上りの後追いともなれば撮る者もなかろうと判断してのポジショニングである。


余談ではあるが、前記の空中写真には1947年10月31日まで存在した鳥伏信号場の待避線兼加速線跡が僅かながら確認出来る。国道の新道(現国道37号線)建設にて失われたものと思っていたので、それの開通直後の写真に見えることは収穫であった。ならば、現在でも国道下の樹木に覆われた斜面に人為的な土工地形くらいは残っていることだろう。

その国道も切取り/盛土個所にまだ植生がなくて白く見えている。80年代後半くらいまでは、高度の在る位置も含めてこれらも室蘭線の築堤区間を見通すポイントだったのだが、樹木の成長にて叶わなくなった。


[Data] NikonF3P+Ai NikkorED180mm/F2.8S   1/500sec-f5.6+1/3    Fiji SC42 filter   PRP    Edit by CaptureOne5 on Mac.

稀府-黄金 (室蘭本線) 1998

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広内信号場-西新得信号場 (根室本線) 1996 に書いた、コダクロームフィルムの続きである。


良く知られているように、コダクロームは乳剤がロット毎に安定せず、PKRは基本的にグリーン系に傾く発色だったから、2.5から10までのマゼンタフィルタ(番号はFuji/TACフィルタ)を常備して、新しいエマルジョンならテスト撮影が欠かせなかった。もちろん、ラボの公表していた情報はチェックするのだが、それで「補正不要」とあっても転びは起きた。

ごく稀に、ラボ情報でも自分のテストでも信じられないようなクリアな発色のエマルジョンに出会って、直ぐに材料屋に発注するのだけれど、その時には既にコダクロームの大家と呼ばれる大先生らに買い占められていて、それはなかなかに手には入らなかったのである。


PKRのISO64は、鉄道のような動体撮影にはかなり厳しく、露出の制限は画角をも規定して撮影の自由度は抑えられた。高感度のPKLも在ったものの、鮮鋭度は確保してもその粒状性からは感度を要する撮影に限らざるを得ない。

その中で、98年には以前から限定的に行われていた増感処理が実用化された。テスト撮影で1EVへの増感なら実用範囲と判断したものの、撮影時にCC20Mフィルタの装着が必須との前提があり、その0.5EV分のフィルタファクタから実効感度は100を切ることになって、些か期待はずれでもあった。それでも、開放を多少なりとも絞れれば画質は向上したから、以後にしばらくはこれを定位にエクタクロームと混用していた。


室蘭本線が有珠山・昭和新山の麓を過ぎたあたりで、その右側天空に羊蹄山(真狩山)が忽然と姿を現す。函館本線の車窓に仰ぎ見るこの山を、ここに見るのは不思議な感覚もしたものだが、洞爺湖を間に挟み直線距離で僅か40キロ程だから、当然に望めるのである。

積丹半島から噴火湾岸に至る後志山系の独立峰ゆえ、噴火湾を前景に砂原から森、八雲あたりからも遠望は可能なものの、列車と画角に収めるならば黄金の前後区間と云うことになる。


写真は、それが列車後方の角度となる長万部起点62K700M付近のR1207曲線での6003列車<北斗星3号>。

10月の大気では、透明感が少し足りない。左は昭和新山。


[Data] NikonF4s+AiNikkorED300mm/F2.8S   1/250sec-f2.8   Fuji CC5M+LBA2 filter   PKR    Edit by CaptureOne5 on Mac.

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札幌 (函館本線) 1998

上りの<北斗星>が1時間間隔で雁行した頃、日没の繰り上がって来る季節ならば、2レを白石なり苗穂で捉え、札幌に戻り6004レを押さえてから、19時16分の<北斗22号>にて長万部もしくは函館まで先行して6レをバルブ、と云った行程を繰返していた。長万部なら現地泊まり、函館なら<ミッドナイト>で移動である。

薄暮が残れば6004を苗穂でも撮れたけれど、上下乗降場間に留置線を挟む現況となる以前の苗穂は、6004の時刻には留置編成が下り外側線に隣接して停まってしまい画角の邪魔をしたから、それは札幌にならざるを得なかった。


ご承知の通り、蛍光灯光源は546nmと583nm付近で輝線を発しており、カラーフィルム上でグリーンに発色する。これはモノクロフィルムでも同様で、それを明るくしたく無い時に補正したこともある。

近年にLEDが増えつつも、主にはタングステンにハロゲン、メタルハライドの舞台照明にフィルタワークは不可欠なのだが(もっとも、その手間を避けて指定の無い限りはカラーネガで撮る)、カラーリバーサルを鉄道撮影に持ち出しての蛍光灯光源には手を焼いた。

駅構内の夜景などなら乗降場や構内照明のそれは D type(=昼光色)かW type(=白色)が主体だから、CCフィルタのRやMを組合せて40から50の濃度を創るのだけれど、混在していれば或る程度の判断はつくものの、どちらかに統一されていると肉眼での判別は困難で、しかも大きな駅なら水銀灯も混じるものだから、Rを増すかBを入れるか迷ったりもした。時間があれば入替えて数カットを確保するが、大抵にはそうも往かず、気に入った色はなかなか得られなかったものである。加えて、旅客車内の灯りには多少なりとも演色性の良い三波長形(ED/EW type)が装着されて、これと駅照明の双方を完全に補正するのは難しく、それにはC混じりのG味を残さざるを得なかったのが大半である。

さらには、天空に明るさの残る薄暮に、それが画角にかかるとフィルタで色乗りしてしまうから補正を諦めるか、画角を変えるしか無い。この時間帯の撮影に室内灯の緑は致命的とも云え、これも困りものだった。スキャンでのディジタル化を前提に構わず撮影したこともあるのだが、紫被りの天空の補正には随分と手間がかかった。

少々脱線すると、知り合いにこの自然光と蛍光灯光源のミックス光での室内撮影に完璧なカメラマンがいた。映画撮影よろしく窓にフィルタを掛けたものか、とも思ったが、とても間に合わないロケーションのカットも見せられて観念した。何度か酒席でネタ明かしを請うたけれど、彼はその技術でビル管理会社や文具メイカーなどのクライアントを抱えていたから当然ながら教えてはくれなかった。


札幌駅4番ホームからの<北斗星>は、5番ホームの長い有効長で4番側の照明の影響を回避出来た。上手くしたもので、6004の入線から発車まで4番の着発列車はなく、このホーム端には人通りもなかった。

ホーム、寝台車車内、背景のビルの二つのフロア。ここも肉眼ではわからないが、異なるタイプの蛍光灯に違いなく、後方のパーキングタワーを照らし出すのは水銀灯と思われたので、3番ホームに入線する電車の前照灯を前提にRの濃度を下げてBを入れている。全てを満足の往くよう補正するのは難しい。


[Data] NikonF4s+AiNikkorED300mm/F2.8S   Bulb@f8   Fuji CC30M+15R+7.5B filter

Ektachrome Professional E100SW [ISO160 / 0.5EV push]    Edit by CaptureOne5 on Mac.

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稀府 (室蘭本線) 1998

稀府あたりの近年の変化と云えば、黄金漁港の設置・開港だろうか。1998年のことだから、それでも15年になる。

駅から防砂林手前、北黄金川橋梁までは海側に回って道道779号南黄金長和線を歩く。時間があれば、粟嶋神社の鳥居越しに噴火湾を眺めていた。その前浜に築港工事を認めたのは、まだモノクロで撮っていた1995年頃と思う。岸壁の構築に土砂を満載したダンプトラックが忙しく行き交ったのを覚えている。

伊達市が主体となって整備したここは、主に地元漁業に利用される第一種漁港である。漁港漁場整備法に従い伊達市が指定し管理者となる。

噴火湾岸を歩いていると、ここと同様に船溜りすら無かった海岸に第一種漁港が築港された例に多々出くわす。山越に国縫や長万部、大岸、虻田の新港と全て近年の整備である。けれど、水産庁の2009年版漁港港勢データによれば、全国的に第一種漁港は1980年の2137港が2009年でも2168港と、その総数に大きな変動は見られない。極く小規模な第一種を統合する例の多いことを示すデータと思うが、噴火湾岸での新設は、内海ゆえに国の補助による整備の遅れたとのことなのだろうか。

この黄金漁港は、稀府から黄金地区で浜に引揚げられていた漁船の利用に供するものではあるが、それを上回る規模で築造され、伊達市にはプレジャーボートなど遊漁船を収容してレジャー基地化する目論みもあるらしい。

平坦な海岸線には突起物にも違いなく、潮の流れの変わったものか隣接する牛舎川(稀府川)の河口には、この15年で砂州が形成され水鳥も集めている。


室蘭本線は、洞爺から有珠火山群の麓を通過するけれど、それを画角に捉えようとすれば海上に視点を置かねばならない。緩やかに弧を描く湾岸に従い、北舟岡を過ぎてようやく列車の後方に山容を取り込めるようになる。何の変哲も無い、駅から防砂林の直線区間に立つのは、そのためだ。

列車は、隅田川からの臨時貨物9051列車。

DF200なら、視点を低くすれば通信線柱を機関車の背後に隠せる。


[Data] NikonF5+AiAFNikkor ED180mm/F2.8D   1/500sec@f5.6    C-PLfilter     Ektachrome Professional E100SW [ISO160/0.5EVpush]

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