千歳 (千歳線) 1982

かつて線路中心線が直線であった千歳停車場の前後区間は、現在では苗穂方にはR1000の左曲線が、場内のR1000/1200の右回り曲線を経て沼ノ端方に再びR1600の左曲線が入る。

すなわち、北西方向から南東へ走る線路が停車場構内のみ、やや北東へ膨らむのである。云うまでもなく、ここの高架化にともなうものであり、地上の旧駅に在った貨物側線や機関車駐泊施設跡を高架駅用地に転用したために生じた線形である。何れの曲線も、ここでの高速運転には直線と同等の扱いにて支障しない。


千歳の地上旧駅は、駅本屋側乗降場の上り本線に島式乗降場に接していた中線と下り本線の2面3線で、その外側に下り1番線と陸上自衛隊東千歳駐屯地と航空自衛隊千歳基地への専用線を分岐していた関係での5線の貨物側線が続き、構内南端には機関車駐泊所を持っていた。急行列車の停車に対応した乗降場は長い有効長と記憶する。

火災に依る焼失を経て1954年に建築されたと云う駅本屋は、直線主体の近代的デザインが好ましい建物であった。そこは上野幌-北広島間に介在した急曲線と勾配に対する補機の解結駅だったから、改札をくぐれば苗穂機関区のC57あたりを目にすることが出来た。夏の強い日差しの中、石炭の煙の流れ来るホームで函館行き急行を待ったのを思い出す。これを目撃しておきながら1枚も撮っていないのは、些か悔やまれる。

当時に札幌の経済圏はここに及ばず、1968年10月改正ダイヤで始発から7時台までの札幌方面行き普通列車は僅か3本が設定されるに過ぎない。1978年10月改正に至っても、それは5本を数えるのみであった。


高架新駅は旧下り1番線に隣接して建設され、その着工は1978年8月のことである。現在の駅前広場は、1980年7月10日の新駅移転後に撤去された旧駅本屋の跡地であり、それと旧乗降場分が拡大されたことになる。

写真は、高架化された千歳を通過する4090列車。コキ/コキフ50000にて組成された特急貨物列車Bに指定の青函航送を経ての梅田行きである。

高架線に続く、軌道スラブを予想積雪線まで嵩上げして設置する閉床式貯雪構造は、同時期に設計の進められた東北新幹線をプロトタイプとしている。後方に苗穂方のR1000の左曲線が見える。


[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S    1/500sec-f5.6    Fuji SC52filter   Tri-X(ISO320)    Edit by CaptureOne5 on Mac.

白符-渡島吉岡 (松前線) 1982

日本近海を回遊するクロマグロは、5月から6月に噴火湾そして積丹半島付近を北限に北上し、同地に滞遊して10月から南下を始めると云う。津軽海峡もそのルートであり、1800年代後半から主に下北半島北辺一帯で定置網により漁獲されていた。それは豊漁で一日に数百尾の水揚げも珍しく無かったらしい。

これほどの資源量が続いたとも思えないが、1900年代以降も一定の漁獲の在ったそれの極端に低下するのが1970年代以降である。学術研究のなされたでは無いようだが、青森県大畑町の漁協関係者によれば青函トンネル掘削工事の影響と云う。

同漁協のデータでは、トンネルの本抗工事に着手された1971年から津軽海峡での漁獲高は減少傾向を見せ始め、先進導抗が海峡中央部に達した81年頃から極端な低下を示し、本抗の貫通から88年3月の開業時期にかけて底を打った後、徐々に回復しながら90年代半ばに至って驚異的に復活を果たしている。大間の一本釣りによる漁がマスコミを通じて注目されるのは、この時期である。

このスズキ目の回遊魚は、それがゆえに微細な振動にも反応するらしいのだが、海底下100メートルで行われた工事振動の影響にて海峡の通過を回避したことには驚かされる。


下北側の大間周辺に続いて、北海道側漁獲基地の戸井近辺も「戸井マグロ」としてブランド化に成功している。もとはどちらも津軽海峡のマグロである。近年では西側の海域での漁獲に松前と津軽半島の小泊が名乗りを上げて追随している。その漁には、福島や白符、吉岡からの出漁もあるようだ。


写真は、福島町宮歌の集落を眼下に宮歌川橋梁(164M)を渡る4823D、松前行き。

後位側のキハユニ25は道内閑散線区の気動車化に際して1958年に6両が製作され、キハ21の基本設計により「バス窓」車である。この江差・松前線と日高本線に長く専用された。早い時期に1両を火災事故にて失い、1962年に代替で追加製作されたものの、それはキハ22に準拠して別形式程に外観が異なる。この1両は天北線にて運用された。


松前線へは1981年の冬に初めて入り、五万分の一地形図で当りをつけて白符-渡島吉岡間に降りた。翌冬の再訪では松前までロケハンした上でも、やはりこの区間を選んでいる。

その地理的位置により車窓に津軽海峡から日本海を見る線区の印象があるが、実際には福島峠に吉岡峠の山越え区間が長く、海沿いとなるのは、この白符-渡島吉岡間に渡島大沢付近の一部に限られていたのである。

ここは、わざわざ25パーミルの勾配を設け、海岸線を避けて20メートル程の施工基面を保つ縦断線形が選ばれていたから、谷には高い橋脚で架橋され、その下の小さな集落とともに良い被写体になっていた。


参考資料 : 海洋政策研究財団ニューズレター 2001.09.20発行


[Data] NikonF3P+AiNikkor50mm/F1.4S 1/500sec.-f5.6   Fuji SC52filter   Tri-X(ISO320)    Edit by CaptureOne5 on Mac.

‘Monochrome の北海道 1966-1996’

1982

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