八雲に、八雲ローヤルホテルという「ホテル」があった。永く、函館から小樽までの間で唯一の「ホテル」だった。
もちろん長万部やニセコにも駅至近でホテルと名乗る宿泊施設は存在したが、それらは道内時刻表巻末の宿泊案内の料金欄に「一泊二食付き」とあるように実態は「旅館」である。
チェックインが遅かったり、アウトが異常に早朝だったりの撮影行では、食事や入浴に時間の制約のある旅館は使い勝手が悪く、この頃の、たまの地上泊(車上の反意語、つまり夜行列車ではない、と言う意)には「ホテル」が欠かせなかった。
八雲ローヤルホテルに初めて投宿したのは、71年夏の渡道時だった。
時刻表巻末に「一室」で料金が示され、ここは「ホテル」と確信して電話を入れたのだった。
駅から数分の徒歩で到着したそこは、「ホテル」に違いはないものの、つい最近まで「旅館」であったのを無理矢理に「ホテル」と云い包めた風情で、ついこの間までの和室にベッドが置かれ、その寝具はあきらかに所謂布団からの転用に違いなかった。
しかし、この転換は時代の先読みに違いなく、この「ホテル」はまもなく鉄筋のビルに立て替えられ、ビジネスホテルのみならずレストランやコンヴェンション施設も併設した、この地域で唯一の「シティホテル」として盛業を続けた。
その後も幾度か利用し、ここのフロントマン(支配人か)には大変良くしていただいたものだ。
しかし、駅前に本来の「ビジネスホテル」が進出し、浜松の八雲温泉に大規模な宴会場施設が開業するなどの影響か、たいへん残念なことに2008年7月をもって廃業してしまった。
この日は、落部の海沿い区間での撮影を予定していたものの天候が悪く、これを断念して八雲付近でのスナップに切り替えた。フロント(雰囲気は帳場と呼ぶべきものだったが)の親爺さんの「八雲に来たなら牛を撮れ」の助言(?)に従ったカットだ。
八雲町は道南では有数の酪農の町らしく、それこそ牛はそこらじゅうに居た。牧草地とは思えない草地にも牛は放牧されていた。
列車は、15D<おおとり>網走行き。編成は基本の7両のみの運用だった。後追いの撮影である。
小雨の中でも、牛は何も気にする風でなく草を食み続けていた。
[Data] NikomatFT+AutoNikkor105mm/F2.5 1/500-f5.6 Y48filter Tri-X(ISO400) Edit by PhotoshopLR on Mac.